台湾で働くという夢を叶えたにもかかわらず、離職に至った理由と率直な今の心境

りーほー、1年8ヶ月務めた会社をつい3日前に辞めてしまった07-17(@0717_ying)です。

07-17
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ついに辞めた

当ブログでは、台湾留学を経て就職活動時期にも触れており、あんなに台湾で就職を熱望してたのに、何故やめてしまったの?!と思う人もいるかもしれません。

離職を決意するまでかなりの葛藤がありました。今の心境、いや今までの心境をここに書き留めたいと思います。

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入社前

私の心境がどのように変化していったのか、記録しておきたいので入社前まで遡ります。

まずどのような心持ちで台湾の現地採用に応募、就職を決めたかと言うと、表向きは「単純に台湾で働いてみたい」「中国語を中途半端なままで現状維持に留まりたくない」このような感じでした。周りにもそう言っていました。しかし内心は38歳での転職、もしかしたら最後の転職になるかもしれないので必ずものにしてやろう、「この会社で学べる技術を吸収してキャリアアップ」「5年は就業ビザを維持して永住ビザを取得したい」と思っていました。密かな野望でした。

私は、台湾にある日系の会社に就職を決めました。日本では業界ナンバーワンの大企業で、日本に居る限り絶対手の届かない会社でした。海外就職での日系企業現地採用のメリットは私のような低学歴で大学新卒時に就職活動をろくにしていなくても、全世界にグローバル展開してる大企業に入るチャンスがあるところではないでしょうか。

おかげで在職時は、憧れの大手ゼネコンと一緒に仕事したりする機会にも恵まれました。

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日本では絶対叶わなかっただろう

もちろんデメリットもありましたが、それはまた気が向いたら記事にします。

仕事が決まるまでは日本へ完全帰国していたので、それなりの覚悟で再び台湾に渡りました。本当、不安と期待でいっぱいでしたね。仕事が決まったら決まったで、ビザの申請や出発の準備でやること多くて、あっという間に新竹での新生活が始まりました。

入社から1年

入社してから半年は、本当に今考えても人生の中で一番頭をフル回転させたんじゃないかってくらい、毎日毎日が手探り状態の中でも、技術的なこと中国語も溺れそうなほどの情報量に苦しんでました。というか完全に溺れていました。

入社してすぐ、同僚と仕事で行き違いがあり、上司に悪いように告げ口され、上司からコミュニケーションがうまく行ってないんじゃないの?と言われ現場に行く車の中で、悔し泣きしました。

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今思い出しても腹立つ

それでも、週末には一人でカフェに行き技術資料を読み込んだり、勉強会で聞き取れなかった単語を復習したり、プレゼンのパワポを作ったり、プライベートな時間はほぼ仕事に使っていました。

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早く技術を吸収して少しでも楽になりたい

と思い、ひたすらやるしかないと。もちろん新しい知識を得ることは楽しかったし、語学中心に通っていたころとは全く違う、そのころの授業や宿題量をはるかに3倍も5倍も超えるほどの感覚で語学学習も進んでいたように思います。仕事上で使う単語や専門用語にめちゃくちゃ偏りますが。辞めた今では、今後使うこともなさそうな単語ばかりですがいい経験です。

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一方、学校で習った文法や日常的に使う単語はどんどん忘れて行った気がするけど、迫る歳には勝てない

社会人、約18年の中で一番仕事を頑張った時だと断言できます。今まではもちろん仕事に追われて必死な時期もあったけど、それは業務をどうにかこなすためであって、こんなに自ら勉強したことはありませんでした。

勉強会で技術発表したり改善提案だったり、急なプレゼンや会議の無茶ぶりが多かったですが、なんとか乗り越えてやろうと必死で、クオリティなんて気にする間もなく出たとこ勝負、今考えるとすごい変な中国語話してたかもとか、幼稚な内容だったかもとか恥ずかしく思うこともありますが、その時の精一杯でした。

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おかげで前より度胸はついたかな

そんな感じで入社1年は、残業ばかりだったし、週に2,3回現場が続けば疲れ切って家に帰ればコンビニでご飯買って寝るだけの生活でした。

1年後

ちょうど1年が過ぎる前後に、初めて担当したプロジェクトが一区切りを迎え仕事が落ち着いた時でした。次のプロジェクトまでゆっくり資料やデータをまとめる時間が出来、残業時間も減ったので、ようやくプライベートでも自分の時間が確保できるようになりました。

そこで、今まで残業に使っていた時間を言語交換に使い、連休には出かけたりして台湾を楽しむひとときの時間を得ることができました。

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そのころ出会ったのが今の旦那

ふと、私は仕事ばっかりで台湾に何しに来たんだろう、これじゃあ日本にいる時の生活と同じじゃん、覚悟はしていたし2,3年は仕方ないと心を決めていましたが、たまにそんな感覚に襲われていました。もちろん日本にいる時は、仕事以外で言語交換したり中国語教室に通ったり、もっと時間がほしいと思っていたので、今の環境はどちらも学べて一石二鳥でしたが。

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仕事以外では一切中国語を聞きたくないイヤイヤ期もあった

次のプロジェクトが始まり、2回目と言うこともあり、やる気満々で、ちょっとは成長してるだろうとワクワクした気持ちもありました。

が、次のプロジェクトは台湾人と2人で担当となりストレスが100倍!「報連相基本なし」「とにかく大雑把で適当」「上司からグチグチ言われるのは日本人の私だけ」それでも最初は根気よく取り組んでいました。

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完全な台湾企業だったらそんなにストレス感じなかったかも

日本と台湾の仕事の仕方で対立が起こる、お客さんも日系企業だと、台湾人社員とのコミュニケーションがない問題が飛び火する、と言ったストレスが本当に多かったです。日系企業のデメリットを多く感じた時期でもありました。

そんな中、数年で任期を終え帰国するであろう駐在員上司は自分の仕事に追われ、技術指導をしなくなり、失敗からのフィードバックでしか学ぶ場がなくなっていきました。

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もちろん言い訳であり、社内の資料から自ら学ぶことはできる

けど、そんなに頭がよくない私は完全に壁にぶち当たってしまいました。まさに限界を感じていました。こんな状態で5年後一人前になれるのだろうか…。

自分が当時描いていたビジョンに近づける自信がなくなってきて、葛藤が始まりました。

人生の転機、結婚

新竹に来て仕事が全てだった自分に人生の転機が訪れました。

それまで、これからの人生一人で生きていくためにはどうしたらいいか、そればかり考えていたので、まさか自分が結婚できるなんて1ミリも思っていませんでした。

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結婚してくれた旦那には感謝しかない

結婚してからも、特に大きな変化(物理的な)はなく今までと変わらない生活が続いていました。結婚してからは更にお金が必要だし、仕事を辞めるわけにはいかないと思いつつも、就業ビザから配偶者ビザに切り替えたとき、もう台湾にいるためのビザの心配は要らないと思うと正直ホッとした気持ちがありました。

私が勤めていた会社は、残業代も全て出るし、有休もきちんと消化でき余ればお金として支払われ、生理休暇や節目のお祝い金、福利厚生言うことなしでした。技術職なのでお給料も悪くないし、いつしかキャリアアップよりこの条件の会社を辞めるのが勿体ないと思うようになり、新しいことを学ぶワクワクした気持ちが次第に失われます。

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私は一体何が大事なのだろう、最近人間らしい生活をしてるかな

旦那はもともとそんなに欲がなく、仕事やお金より、私の身体の心配ばかりしていました。毎日外食で食生活は偏り、移動はバイクなので運動量が減りそんな状態で一日現場に出るとクタクタ、PMSがもともと酷かったのに事務仕事以外の時は休めないので我慢して出勤するの悪循環。

離職を決断した理由

台湾離職

※ 写真は2021年、過年に拜拜した時に撮ったものです。

前から結婚願望が強く、両親も子供が大好きなため、結婚してからはできれば子供がほしいと思っていました。

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結婚も出産も私とは無縁

そう思っていた自分が、今の旦那さんと出会い今まで考えたこともなかった問題が襲いかかります。その時は、産休も育休あるしこの制度を使わない手はない!と思っていて、仕事を辞める気はあまりありませんでしたが、心に葛藤はありました。

本当は今まで頑張ってきた仕事を辞めたくない、この条件を手放したくない、でももう正直楽な仕事に転職したい。

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こんなんで本当に両立していける?

結婚してすぐ、不妊症の検査を病院に受けに行きました。

そこで突き付けられた事実は、分かってはいたものの結構残酷。

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もう時間がない

もう、40歳になる私には時間が残ってない。もちろん可能性がどんどん低くなることは分かってたし、できればほしいし、できなければしょうがない。という気持ちから真剣に考えるようになりました。

理想は働きながら子供をもうけること、20代ならちょっとくらい無理をしてもそう選択したでしょう。

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子供ができるかできないかも分からないのに仕事辞めるの?

「今の仕事続けてる限り、妊娠は無理じゃない?」と旦那に言われました。まさにその通り。それでもめちゃくちゃ悩みました。

仕事を辞めても後悔するかもしれないけど、中途半端に続けてちゃんと妊活に取り組まなかったらもっと後悔する。自分にとって今一番重要なことは。

仕事を諦めてでも、今は自分の身体の健康に気を使いたいし(旦那の健康管理もしたい)、できれば子供がほしい、そのためにはどうするべきか。後悔を残したくない。

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人生で一番重要だったものが仕事・自分のキャリアから、家族に変わった

それまで仕事やキャリアにそこまでの執着や興味はなかったが、一人っ子だったため小さいころから自立、自分の老後、親の介護などなど本当にずっと頭にあった。結婚できないもんだとばかり思っていたから一人で生きていくためには、仕事をしなければと思っていた。

しかし今回、旦那が背中を押してくれたこともあり、仕事を辞めることに決めました!

今は後悔のないよう妊活に集中して、できる限りのことはやろう。その一つが仕事を辞めるということでした。有難いことに上司からの再三引き止められ、就業条件見直しの提案もあり、少し揺れましたがお断りしました。

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妊活はいつまでする、今後の仕事は

まだまだ今後のことについて決めなければいけないことは山積みですが、仕事を辞めて数日、自炊をはじめ、作ったご飯を旦那と一緒に食べ、時間があれば運動に行く、人間らしい生活を始めました。笑笑

正確には、離職が決定してから残業をやめ自炊するようになりました。以上、最近の私に起こったことでした。これからも温かく見守っていただけると幸いです。どーしゃー。